まんが投稿

河原和音先生に聞く!実践ネーム塾
 第3回 キャラクター その②

前回の、周りの人の良さやおもしろさを取り入れることでキャラが広がった、というお話、詳しく教えてください!

自分の周りにいる人を見て、「この子のこういう個性を軸にキャラクターを作ろう」と考える感じですよね。誰か1人ではなくて、何人かの個性が1人のキャラクターに入っていたりはすると思います。

――「個性」ですか。

「魂」とか「特性」とか「特徴」、と言い換えてもいいのかなと思います。ただ少女まんがと少年まんがでは、個性の意味合いがちょっと違うかもしれなくて……。少女まんがでいう個性は、性格とか考え方、趣味とか生活、行動様式のような現実に根差したものという意味合いが強く出ているような気がします。少年まんがの場合ももちろん今言ったようなものを大事にしつつ、さらに「能力」みたいなものがプラスされたり、あと「世界観」も個性に関わってくる場合が多いのかなと思います。

――少女まんがにおける個性がどういうものかを知っておくのは、キャラ作りにおいてすごく重要ですね……! ちなみに『高校デビュー』の晴菜の場合は、周りの人のどういった個性を取り入れて作られたのでしょう。

私の周りには、体育会系の子が結構いるんです。妹もそうなんですが、体育会系の子って考え方がスキッ!としているなと思っていたんですよね。私自身はスポーツがこんなにも大好きなのに文化系寄りなので、憧れがあるんです。妹から聞いたんですけど、例えばイライラした時に旦那さんに相談すると、旦那さんも体育会系だから「すっきりしたいんだろう? かかっておいで!」って言ってくれて。そうしたら妹も「えいえい!」って向かっていくそうなんですよ。

――体を動かして発散するようなイメージですかね。

そうだと思います。そうすると、スッキリするらしい。体育会系の人っていいなあ、おもしろいなあと思ったんですよね。私だったら頭の中で考えて解決しようとして、まんがだとモノローグになると思うんですけど、妹のように「こぶしで解決」みたいなこともあるんだなと。そういうことを晴菜に反映させて描いていきました。

――前回お話しいただいた、「自分」の一部分を強めてキャラクターに入れる、というのとはまた別の方法ですね。

『素敵な彼氏』の、ののかは、人のどういう部分を取り入れているのですか? 考えていることが全部透けていて、かわいいなあといつも思うのですが。

私、自分が内心の動揺を出さないようにしがちなので、ののかみたいに表に出ちゃっている人が好きなんだと思う。動揺しているのに「別に平気だし」みたいな態度をとってしまう自分がいやなんですよね。素直に出している人をかわいいと思う。たまに自分も内心の動揺が素直に出た時は、「今の自分、とってもよかった!」って思います(笑)。だから私の場合、主人公は自分じゃないことの方が多いですね。私が「かわいいな」と思う子、私も「こうできたらいいな」と思う子を描いているんだと思う。

ふだんどういうふうに意識して、周りの人の個性を取り入れていらっしゃるのかが知りたいです。

本当はあんまりいいことではないのかもしれなくて……かっこいい言い方をすると「さが 」みたいな感じなんですけど、昔から友だちとか周りの人を「この人はこういうことを考えているんだ」とか「こういうものが好きなんだな」というふうに考えながら見ちゃうんですよね。

――意識的にというより、自然に周りの人の行動をそう見てしまうというか。

はい。「自分と違うんだ」ということをすごくおもしろいなと思う。それを、キャラを作る時に入れていく感じなんですよね。さっき別の話をしていた時、石田さんが「ネームを送ったあと担当さんから電話がかかってくると、ドキドキしてすぐに出られなくてスマホを1回置く」と言っていたでしょう。私は1回置かずにそのまま出ると思うので、おもしろいなと思ったんです。そういうのが“キャラ”だよね。例えば好きな人に告白した後、電話がかかってきたのに、出られずに1回スマホを置く女の子……そこにモノローグがなくても、どういう子なのか、どういう気持ちなのかがわかると思うんですよ。

――まさに河原先生のまんがですね……! ディテールを描くことで、どういう子なのかすごくわかる、というか。

結局、そういうのが好きなんですよね。読む側としても、描く側としてもそうだし、そういう行動を見たりすること自体が好きなんです。その人のことをわかることができたみたいで、すごくうれしくなってしまう。

うれしくなる……すごくいいですね……。

「いいなあ」「好きだな」と思ったところのみを使わせてもらう

友だちだけじゃなくて、通りすがりの人のこともよく見ちゃうんですけど……電車の中とかでも、周りの人の会話をめっちゃ聞いているんですよ。ディズニーランドのパレ―ドを見に行った時に、前が見えなくて困っていたら、後ろの人たちがこんなふうに話していて。「会社に『いつもパレードの観覧席の抽選が当たる』って言っている人がいてね。『私、当たったことないよ』って言ったら『外れる人いるの?』って言われたんだー」って。彼女たちは2人とも抽選に外れてここにいるわけだから、きっとつらいんだろうなと思って見ていたら、「上のほうしか見えないけど、きれいだね!」ってすごく楽しんでいたんですよ。そのことに驚いて。私は楽しめていなかったんです。子どもを抱っこしていて重いなとか、子どももそんなに喜んでいないなとか考えていて……。こういうちょっと目にした「いいなあ」と思った人からアイデアが生まれたりするんです。実際この時のことは『ラッキーガール』という作品のヒントになりました。

キャラクターの人間性をどう出したらいいかなと思っていたんですが……先生は、この人は自分とこういうところが違うんだな、こういう人いいなと思った時にその相手に対して人間性を感じる、ということでしょうか。

そうだと思います。だから、みんなの描いたまんがを読むのも好きなんですよ。私と違う!って思うから。こういう展開になるのかなと思って読んでいたのに、この作家さんはこう思うのか!って。それが楽しいし、勉強させてもらっている感じです。

――先生のお話を聞いていると、キャラクターのヒントになることは、いつでもどこにでもたくさんあるのだなと思えてきます。

そう思います。ただ……誰かを「笑う」みたいにして使うのは、私はされたらいやだし、するのもいやなので、「好きだな」「いいなあ」って思ったところのみを使わせてもらうようにしています。腹黒い人のことも、「この人の腹黒いところが好きだな」って思えれば、きっと腹黒いところも含めて、その人のことを描けるんだと思います。

キャラクターと相談してみよう

いいところを取り入れて、キャラクターができたとして……そのキャラ「らしい」言動というのは、どうやったら描けるのでしょうと。例えばののかって、所作とかポーズ、表情もそうなんですけど、どこを読んでも「ああ、ののかだなあ」「ののからしいなあ」と思うんです。先生の中に、「この子はそういう顔をするよね」みたいなものがいつもあるんですか?

相談する、キャラクターと。「この子はこういう顔をするかな?」「こういうことを言うかな?」って、一生懸命相談する感じですね。キャラと話をする、というか。

――キャラと相談する、ですか。

実際に頭の中で会話をしてみる、ということではないんですが……「自分のよく知っている人」みたいな感じで、その人についてよく考えてみる感じですかね。そうすると、「だからこの人ってこうなのかな」って自分の中でだんだんその人がどういう言動をするか、わかってくる。「自分じゃないんだ」と思うことが大切。友だちや兄弟姉妹のような感覚で考えるとわかりやすいかも。「〇〇はこういうことしないわー」とか、逆に「こんなことするんかーい!!」とか思ったりすることありますよね。

――それを続けることで、どのシーンでもその人「らしい」言動のキャラクターになるんですね。

「いるよね」と思えたら「設定」っぽくならない

ちょっと別の話になるんですが……私はキャラを立たせようとすると、キャラが「設定」っぽくなってしまうことがあって。どこか作り物っぽいというか……。『俺物語!!』の猛男って、文字で特徴を書きだすと設定っぽくもあって。大きくて、強くて、やさしくて……と。でも読んでいると、設定っぽさはまったく感じず、あんなにもおもしろいのがすごいなと思うんです。

確かに、設定っぽいキャラだよね。色モノにもほどがある(笑)。アルコさんが「いそう」な感じに上手に描いてくれました。

説得力があります。猛男の家族を見ていると、「この子がこうなったのは、こういう父母に育てられたからですよ」と思えるんですよね。

突然生まれたわけではない感じがちゃんとありますよね。いないのに、いたらいいなと思わせる……友達になりたいと思わせるキャラだと思います。

でも私、猛男のことを「こういう感じの人いるな」って思っていたところもあったんだと思う。ゼロからじゃないというか……まったく知らない人という感じではなかったんですよ。学校にね、女子にはモテないけど男子にはモテる男子が実際にいて。男の人にしかわからないおもしろさ、みたいなものがきっとあるんですよね。同性に人気のある人っていいなあと思っていたし、不器用というか、まっすぐな人が好きなんです。

河原先生が「いる」と思って描いているから、設定っぽくならないんでしょうか。

そうかもしれないね。「いるよね」って思えないと描けないかもしれない。「いる」と思えれば、自信を持って描けるんですよね。だからといって現実をそのまま書いても面白くはならないので、空想も働かせないといけないんですよね。どの作家さんにも自分がおもしろいと思う、現実と空想の組み合わせとかバランスがあるんですよね。こういう感じで描くと気持ちいいなっていう感覚を大事にして描いてみるといいと思います。